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歴史好きアイドル乃木坂46・山崎怜奈が語る『明智光秀が殿を務めた〝金ヶ崎の退き口〞とは』─NHK大河ドラマ「麒麟がくる」

歴史好きアイドル乃木坂46・山崎怜奈が語る

■信長入城450年 信長の越前攻めの足跡をたどる

450年の時を経て、今も残る信長の足跡。明智光秀や木下藤吉郎(豊臣秀吉)も伴った朝倉攻めの薫りが感じられる場所をめぐる。

 

明智光秀が先着し進攻の準備を整えた「若狭熊川」

 

明智光秀ゆかりの地

信長が朝倉義景を攻める際、明智光秀を熊川へ先遣隊として送った。この地は光秀の娘・玉(ガラシャ)の姑・麝じゃ香こう(マリア)の故郷であり、若狭と京都を結ぶ鯖街道の宿場町としても栄えた地である。

 

熊川城跡

細川藤孝(幽斎)の正室麝香の出自である沼田氏の城。堀切や竪堀などの遺構が見られる。得法寺には朝倉攻めの際、徳川家康が宿泊したことを示す「家康腰掛けの松の跡」も残る。

 

朝倉攻めで陣を置いた難攻不落の名城「国吉城」

 

“戦国三英傑”が集った城

信長が朝倉攻めの拠点とし、豊臣秀吉、徳川家康も入城。戦国時代には朝倉氏の攻勢を何度も退けるなど傾斜の厳しい難攻不落の山城であった。麓に建つ若狭国吉城歴史資料館周辺には時代によって異なる積み方がされた石垣を見ることができる。

城主居館跡から本丸までの道のりは約600m。つづら折りの坂道を登っていくと、随所に石垣や土塁が見られる。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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